誰がそういったわけではないが、いつの間にかだれしもがモバイル越しに世界を見るようになった。
昨日も今日も、多分明日もどこかのネットサービスに大量に画像がシェアされるし、僕はそれを見ている。なんでもない食事の記録だったり、子どもの記録だったり、気合を入れた作品だったり、それは様々だ。でもその向こうに人がいて、その映像を一瞬だけでも見つめていたことを感じ取れる、そんなそこはかとないひとの気配がインターネットの中には満ちている。
[camera slideshow="MobileEyes"]
写真というものが面白いのは、ファインダーをのぞいている写真家と、その作品を見る鑑賞者の視線が全く同じというところにある。誰かの見ている景色と全く同じものを見る。という経験。他のどんな芸術においても、その経験をすることは不可能だ。そこに解釈が加わり、思考で色付けがされる、ということが写真にはできない。偶然性と必然性。カメラは目であり、目はカメラである。
モバイルを掲げよう。そこに映っているものを見る時、ぼくの目は誰かの目になる。誰かの目はぼくの目になる。