まさに春が咲いたというほかない。まだ明るい緑の梢が風に揺れているのを見るたびにそんなことを思う。
中国にいるときは色をよく見た。赤は海で、緑は魚で、時々見える空は深く、青い。たぶん、中国は広大な箱庭なのだ、と思う。自然を征服し、作り変えていくことをいとわない、力強い大陸の文化をそこかしこに見て取ることができる。自然と人は戦っている。
果たして日本は、と思った時僕は不意に不安になる。たしかに僕は自然を見ている。烟る新緑の季節を心待ちにし、咲き誇る緑がやがて深みを増し、そのうち枯れて落ちるまで、僕はずっと楽しむことができる。ここでは自然は野放図で、人はそれにしたがうほかない。好き勝手に樹の幹から生える枝は暑い夏の中でいつの間にか姿を消し、翌年、春になればまた同じ場所から生える。そこに人の手はかからない。
そして僕はうっそりと不安になる。
母国では嫌なものはいつの間にか意識にさえ上らなくなってしまうが、僕の記憶の中にはどうしてこんなに人が少ないのだろう。まるでそれを美しくないと思っているように、忌避していることすら忘れている。外国ではあんなに、見ていたのに。